61歳の春:静かな恋が教えてくれた人生の甘さ

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はじめに

 61歳の私が、まさかこの年になって再び「恋愛」という言葉を胸に抱くなんて、数年前の私からすれば笑い話のようです。
文房具店をたたみ、半隠居のような日々を送り始めた頃、自宅の小さな庭で春の陽射しを眺めながら、もう自分の人生で新しい人間関係が生まれることはないだろうと思っていました。
しかし、人生は時に思いがけないめぐり合わせを用意しているものです。
これは、60代はじめにして新たな心のときめきを感じ始めた、私の小さな物語です。

出会いのきっかけ

ささやかな町の図書室で

 先日、町の小さな公民館併設の図書室で、私は彼女と出会いました。
退職後、やることが減った私にとって、週に数回この図書室を訪れ、ゆっくりと新聞や雑誌を読む時間はちょっとした贅沢です。
彼女は元高校教師。
今は週数回、同じ公民館で個人塾を開いているとのことでした。
細いメガネの奥の目元が優しく、60歳とは思えないほど、どこか若々しい雰囲気を漂わせていました。
未婚と聞いて少し意外だったのは、彼女が醸し出す柔和な空気が、家庭的な暖かさを感じさせたからかもしれません。

初めての会話

ガラケー越しの不器用な笑み

 ある日、図書室の雑誌コーナーで彼女が私に声をかけてくれました。
「この本、あなたが先日読んでいた雑誌と同じ特集号ですよね。」
私は一瞬どきりとしましたが、彼女が手にしていたのは私が以前借りたことのある経済誌でした。
「ええ、そうですね。あれは私が店を閉める前、仕入れの参考にと思って読んでいたものです。」と、ぎこちなく答えました。
今思えば不器用なやり取りだったかもしれません。
彼女はガラケーをそっとバッグにしまい、微笑みながら「あなたは文房具店をしていらしたんですか。
ああ、あの駅前の小さなお店?実は一度だけペンを買いに行ったことがあります。」と言うのです。
それがきっかけで、私たちは少しずつ、顔見知りから「知り合い」へと関係を進めていきました。

過去との折り合い

離れた息子、彼女の長年の独身生活

 私には独立した息子がいますが、彼は遠方に住み、めったに連絡をくれません。
離婚した妻はもう再婚し、私にとって家庭という居場所はずいぶん前に手放したものとして心にしまい込んでいました。
対する彼女は、仕事一筋で未婚を貫き、この年まで一人で生きてきた人。
「生徒たちや同僚との時間は充実していましたけど、家に帰ると一人で過ごすのが当たり前でした」と、彼女は静かに語りました。
不思議なことに、そうした「孤独」の積み重ねが、私たちを自然な形で引き寄せているようにも感じました。

健康への気遣い

軽い糖尿病と関節痛

 私には軽い糖尿病があり、食事の塩分や糖分に気を使わなければなりません。
彼女は膝に軽い関節痛があり、長時間立ちっぱなしで授業をするのは少し辛いと漏らしたことがあります。
互いに無理のきかない体になっているのは明らかですが、だからこそ、無理のないペースで相手を思いやろうとする気持ちが生まれました。
先日、私は公民館の裏庭にある小さな休憩スペースで彼女を待ち、焦らずに腰掛けていると、彼女がゆっくり歩み寄ってきました。
「今日は少し膝が痛いの。ゆっくり歩きましょうね。」と言う彼女に、私も「もちろんですよ、焦らずいきましょう」と返します。
これほど自然に「相手のペースに合わせる」ということができるなんて、若い頃には想像もつきませんでした。

テクノロジーへの戸惑いと小さな手助け

私とスマホ、彼女とガラケー

 私はスマートフォンを使いこなすほどではありませんが、ビデオ通話やチャットアプリ程度は問題ありません。
彼女はまだガラケーを使っていますが、甥っ子にもらったタブレットも持っているそうです。
「でもね、あれはどうにも馴染めなくて。
画面を指で触ると、どこへ飛んでいくかわからないし、文字を打つのに必死になって指がつりそうになるんです」と彼女は笑っていました。
私は「そのうち慣れますよ。
もしよければ、今度ゆっくり教えましょうか」と声をかけました。
「じゃあ、今度教えてください。
あなたに教わるなら、なんだか楽しそうです。」
そんなやりとりがあるだけで、私の胸は微かな弾みを取り戻していくのです。

小さな外出と、新たな習慣

ゆっくりとした公園散歩、質素なランチ

 私たちは週末の昼下がりに公園を散歩するようになりました。
私は血糖値が気になるので甘いものは控え、彼女は膝に優しい歩幅で並び歩く。
青々とした芝生と木々の下で、鳥の声に耳を澄ませながら、一緒にベンチに腰掛け、穏やかな時間を過ごします。
時々、近くの定食屋で塩分控えめの定食を分け合うこともあります。
おしゃれなレストランや海外旅行、華やかなイベントなど、私たちには縁遠く感じますが、それでいいのです。
静かな日常の中に、新たな気配を感じられるだけで、十分満たされています。

私が今、感じていること

 若い頃の恋愛のような激しさや、ドラマティックな展開はないかもしれません。
むしろ、静かで、しみじみとした安心感のようなものがじわりと胸に広がっています。
60代の今、人生は決して平坦ではなくなりました。
健康への配慮、経済的な慎ましさ、家族との距離、そして過去に背負った荷物。
それらを抱えながらも、目の前にいる相手と、ゆっくりと手をつなぐ気持ちが育つことは、思いのほか甘く優しいものです。

おわりに

 私が61歳、彼女が60歳。
この短い文章では語り尽くせないほど、心に芽生える小さな変化がここ数ヶ月で積み重なりました。
人はいつまで経っても、他者との温かな結びつきを求められるのだと、今さらながら気づいています。
この新たな春めいた感覚を大切に、焦らず、丁寧に、これからの日々を紡いでいきたいと感じています。

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