私は現在、71歳になります。
金沢の古い家でひとり暮らしをしているのですが、実は若いころに離婚を経験し、それ以来ずっと独身です。
娘がひとりおりまして、いまは海外で暮らしています。
離婚当初、娘とふたりだけで暮らしていた時間は思い出深いものが多いのですが、あの子も成長して自分の道を見つけ、遠い異国へと巣立っていきました。
私は年金を頂きながら、趣味の音楽活動を細々と続ける日々です。
音楽と言っても、週に一度のサークルで仲間とジャズのセッションを楽しんだり、たまにちょっとしたライブハウスからお呼びがかかってギターの伴奏をやったりする程度。
それでも好きなことを続けていられるのは幸せだと感じています。
とはいえ、やはり年齢には抗えない部分もあります。
最近は足腰に少し不安があり、長時間の立ち仕事や、階段の上り下りがきつくなってきました。
でも私の性格は昔から好奇心旺盛で、つい「やってみたい」という気持ちが先に立ちます。
だから、町を散策するのも苦になりませんし、新しいカフェや美術館に足を運ぶときなどは、まだまだ胸がときめいてしまうのです。
そんな私ですが、ここ数年前まで使い続けていたガラケーをついに手放し、最近スマートフォンへ乗り換えました。
初めは操作にまごつきましたが、動画を見たり、SNSを覗いてみたりと、いろいろな世界が広がっていくのが新鮮です。
実は、そのスマホがきっかけとなって、新しい出会いが訪れました。
デジタルから始まった不思議な縁
ある日、SNSを使って金沢の観光スポットや近所のお店の情報を調べていました。
慣れない操作に悪戦苦闘しながらも、金沢の街を紹介する写真や動画を眺めるのが楽しく、ついつい夜更かししてしまうほどでした。
そんなとき、「金沢の昔ながらの暮らしを発信しませんか」といったコミュニティのアカウントを見つけたのです。
懐かしい風情の残る町家や、地元ならではの伝統行事などを紹介しているそのページを見て、「自分も参加してみたい」と思わず書き込みをしてしまいました。
すると、コミュニティの運営を手伝っているという男性から直接メッセージが届きました。
彼は60代後半とのことで、同年代に近い安心感もあって、気軽にやりとりを始めたのです。
私が思い切って「スマホ初心者で戸惑うことが多いんです」と打ち明けると、彼はとても丁寧に使い方を教えてくれました。
さらには「もしよろしければ、町並みを撮影する散歩にご一緒しませんか」とのお誘いがあったのです。
私は、最初は少し警戒心がありました。
ネット上で知り合った人と実際に会うなんて、大丈夫かしら、と。
でも、彼のやりとりからは悪意や下心のようなものが微塵も感じられず、むしろ旧友のように丁寧で心温まる印象が強かったのです。
何より、私は新しい出会いに対する好奇心を持っているほうで、「ぜひお散歩ご一緒しましょう」という返事を出すまでに、さほど時間はかかりませんでした。
金沢のまちなみと、ふたりの心の距離
初めて会った日は、軽くお茶をしてから近所をぶらぶら歩くことにしました。
選んだ場所は、金沢駅からほど近い古い商店街。
実は私、この街で生まれ育ったわけではなく、結婚後に移り住んだ身です。
でも、夫との離婚後もこの町に愛着があり、結局は離れることなく今日に至っています。
彼と初めて顔を合わせたとき、ぎこちなさも少しだけありましたが、次第にそれは心地よい緊張へと変わっていきました。
お互いに年齢も近いし、金沢をこよなく愛するという点も共通していたので、自然と会話が弾んだのです。
昔の金沢の風景や、私が参加している音楽サークルの話をすると、彼は「ぜひ聴かせてほしい」と興味津々。
軽い足取りで歩き回っているうち、私の足腰の不安も忘れてしまうほどに夢中になっていました。
途中で休憩しようと、古民家を改装したカフェに入って雑談をしていると、かつて離婚したときの話や、娘が海外に渡った理由など、自分でも驚くくらい深い部分をさらりと打ち明けてしまったのです。
彼は焦ることなく私の話を聞き、「人間、いろいろありますよね。
その経験があるからこそ、いまのあなたがあるんだと思います」と優しく答えてくれました。
また会いたいと思える瞬間
その日から私たちは、時々一緒に散歩をしたり、私が出演する小さなライブハウスに彼が来てくれたりと、自然なペースで交流を深めていきました。
この年齢になると、いわゆる「恋愛」なんて、どこか大袈裟に感じるものです。
でも、彼と過ごす時間はまさに青春のような気持ちで、小さな胸のときめきを抑えられないのが正直なところでした。
ただ、私は一度離婚を経験しているせいか、慎重になる部分もあります。
「人を好きになるのはいいけれど、自分の生活リズムを乱さないかしら」とか、「娘に紹介するとなったらどう思うのだろう」という考えも頭をよぎります。
けれども、彼と一緒にいるときの心の安らぎや、気負わず自然体でいられるあの空気感は、私にとってはとても大切なものなのです。
ある日、彼から「今度、兼六園のライトアップを見に行きませんか」と提案がありました。
私は足腰の負担を考えて、夜間の外出をちょっと躊躇したのですが、「ゆっくり歩きましょう。
ベンチで休み休みでも、僕は構いませんよ」と言ってくれました。
その言葉に背中を押されるようにして、私は迷わず「行きましょう」と答えました。
夜の兼六園で感じた新しい鼓動
ライトアップされた兼六園を訪れた夜は、肌寒くも幻想的な雰囲気が漂っていて、胸にじんわりと温かいものが広がりました。
紅葉シーズンということもあって、見事な光の演出が美しい紅葉をさらに引き立てているように思えたのです。
彼と並んで歩いていると、ふと手をつなぎたくなる衝動に駆られましたが、さすがにこの年齢でそれを素直に実行する勇気はなかなか出てきません。
ただ、彼がそっと私を気遣いながら歩調を合わせてくれるのを感じると、それだけで十分心が満たされるような気がしました。
園内の休憩所に腰を下ろして、金沢ならではの和菓子とお茶を味わっているとき、彼が「あなたと一緒にいると、日常が少しずつ鮮やかになる感じがします」と言ってくれました。
私はその言葉に胸がいっぱいになり、「私もあなたと出会ってから、少し若返ったような気持ちでいるんですよ」と正直に伝えました。
まさか自分が71歳にして、こんなに素直な言葉を口にできるなんて、若いころの自分が聞いたらきっと驚くことでしょう。
これからの私たち
ライトアップの帰り道、彼が「また今度、金沢の小さなギャラリー巡りを一緒にしませんか」と誘ってくれました。
私の足腰を気にしつつも、ちゃんと行けそうな場所をリストアップしてくれたようです。
私が「もちろん。
そんなに気を使わなくても大丈夫ですよ」と返すと、彼は「使っているのではなく、気にかけているんです」と、なんとも優しい微笑みを浮かべて答えてくれました。
私の胸の内には、離婚や娘の独立などを経て、一人の時間が長かったからこそ感じていた孤独がありました。
しかし、彼と知り合い、少しずつ距離を縮める中で、「もう一度誰かを愛する喜び」を思い出している自分がいます。
もちろん人生はそう簡単ではありませんから、これから先にはいろいろなハードルもあると思います。
健康面での不安も大きいですし、娘の反応も気にはなります。
それでも、私はこう考えるようになりました。
「人は何歳になっても、新しい感情を抱くことができる。
それこそが生きている証しなのだ」と。
音楽サークルでギターを弾いているときも、彼と一緒にまちなみを歩いているときも、私の心には確かに“ときめき”が宿っています。
その小さな火を大事に育てていけるかどうかは、自分次第なのだと気づいたのです。
金沢に降り注ぐ光のように
金沢には、しっとりとした情緒があって、私のように人生の後半を歩む人間にはどこか癒やしや温かさをもたらしてくれる土地だと感じています。
昔は雨の日や冬の寒さが苦手だったのですが、最近はその雨音すらも味わい深いと感じるようになりました。
きっと私は、この街で大切な人と出会い、共に過ごす時間を通じて、自分自身も少しずつ変わってきたのかもしれません。
娘にも、いつかちゃんと話そうと思います。
海外に暮らしているからこそ、連絡はスマホで気軽にできるようになりましたし、以前よりも私たちの距離は縮まっている気がします。
この新しい出会いを伝えたら、娘は最初こそ驚くかもしれませんが、きっと応援してくれるでしょう。
71歳の私がいま感じているこのときめきは、決して恥ずかしいものではないと思います。
むしろ、人生の最終章だからこそ味わえる深みがあるのではないかと、そう信じています。
金沢の町並みに降りそそぐ柔らかな光のように、私の新しい恋も、ゆっくりと穏やかに心を照らしてくれることを願っています。
結局のところ、年齢は数字に過ぎません。
足腰の不安や過去のしがらみもありますが、それでも前を向いてみようと思えたのは、彼に出会えたからです。
そして何より、この街がくれたちいさな奇跡に感謝しながら、これからの人生をもう一度、鮮やかに描き直していきたいと思います。