私は現在63歳になります。
若いころに夫を病気で亡くし、娘をひとりで育てあげました。
娘は数年前に結婚し、一時期は札幌の家で私と同居していたのですが、この春にマンションを購入し独立。
今は、静かに一人暮らしをしています。
家の中が急に広く感じられるようになり、最初は寂しさを感じていましたが、やはり娘夫婦の幸せを思えば嬉しいものですね。
私の生活の糧は、年金だけでは少し心もとないこともあって、趣味のハンドメイド作品をネットで販売しながら補っています。
編み物やパッチワークが昔から好きで、家事と育児の合間に作品をコツコツ作ってきました。
娘がいまどきのオンライン販売の仕方を教えてくれて、最初は苦戦しながらもなんとかやっているところです。
ありがたいことに、ちょっとした収入にもなり、自分の作品が全国の方に手に取ってもらえるなんて夢のようだと感じています。
身体面では、若いころから姿勢の悪さもあって、軽い腰痛が持病のようになってしまいました。
無理をすると痛みが出ることがあるので、ストレッチを日課にしながら過ごしています。
それでも私は好奇心旺盛な性格が災い(?)して、興味をもったことにどんどん首を突っ込んでしまうんです。
夕方に近所を散歩したり、図書館で手芸の本を借りて新しい作品を研究したり、ロマンチックな映画を観て涙ぐんだり……。
自分でも驚くほど、まだまだ心は若いと思う瞬間があります。
スマートフォンは娘と同居していた頃に買ったばかりで、どうにか通話やLINEは覚えました。
ただ、SNSへ写真や文章を投稿するとなると、いつも操作がよく分からなくなるので、結局は娘か孫に頼ってしまっています。
自分のハンドメイド作品をもっと素敵にアピールできたらいいのですが、私ひとりでは難しいのが正直なところ。
とはいえ、「いつか慣れるかもしれない」と思いながら、少しずつ挑戦を続けている段階です。
そんな私ですが、最近、信じられないほど心が熱くなる出会いをしてしまいました。
札幌の街は四季折々に美しい景色を見せてくれますが、63歳の私がまたこんな想いを抱くことになるなんて、正直、自分でも驚いています。
不思議なきっかけ:ハンドメイド仲間との出会い
私はハンドメイド作品をネット販売していることもあり、地元の手芸サークルにも顔を出して交流を深めようと考えていました。
先日、札幌市内の公民館で開催された手芸のイベントに足を運んだところ、たまたま目が合って挨拶を交わした男性がいたんです。
男性が多いイベントではないので、少し珍しいなと思ったのですが、その方は60歳を少し超えたくらいの年齢に見えました。
和やかな笑顔が印象的で、声をかけてみると「実は陶芸をやっているんです。
手芸も好きで、何かコラボできないかなと興味が湧いて」と話してくれました。
私も普段の編み物に加えて、陶芸作品とのコラボレーションは考えたことがなかったので、「ちょうど新しいアイデアを探していたんです」とお伝えしたところ、彼はとても喜んでくれました。
その場の雑談は、どこか初対面とは思えないほど自然で、気づけば30分以上も話し込んでいたんです。
彼のものづくりにかける熱意や、札幌の風景をモチーフにした作品の話などを聞くうち、なんだか私も胸が弾んでしまいました。
イベントの帰り際、「よかったら、今度作品を見せてもらえませんか」と彼のほうから声をかけてくれました。
私も「ぜひお見せしたいです。
ついでに私の編み物コレクションも見ていただけたら嬉しいです」と思い切って返事をしました。
63歳の私が、まるで初めての合コンで意気投合した若者みたいにウキウキしている姿を、娘が見たらどんな顔をするでしょうね。
作品に触れ合ううちに見えた彼の優しさ
その後、私たちは札幌駅近くのカフェで再会し、お互いの作品をタブレット(私のスマホでは画面が小さすぎたので)で見せ合ったり、実物を持ち寄ったりして語り合いました。
彼がつくる陶器は素朴さの中にどこか暖かい風合いがあって、見ているだけで心がほっこりするのです。
私が「和風の編みかごに合わせて、陶器のボタンやパーツを作ってもらうのはどうでしょう?」と提案すると、彼は乗り気になって、「ぜひサンプルをいくつか作ってみましょう」と目を輝かせていました。
その日は3時間ほど一緒に過ごしたのですが、話題は作品のことにとどまらず、なぜか生い立ちや家族の話にまで広がっていきました。
彼も若いころに奥様を亡くしており、やはり一人で子どもを育ててきたそうです。
いまはお子さんも独立して遠くに住んでいるとのことでした。
境遇が似ていることもあって、一気に親近感が湧いてきました。
そして、何気ない会話の中で、彼の優しい人柄が滲み出ているのを感じました。
私の腰痛のことをちらりと話したときにも、「無理なときには遠慮なく言ってくださいね。
作品づくりは楽しむためのものですから」とさりげなく気遣ってくれたり、私の娘や孫の近況についても興味を持ってくれたり。
その細やかな思いやりが、私の心を温かく包んでくれるのです。
ときめきと戸惑いの狭間
正直なところ、この年齢で新たに恋愛感情が芽生えるなんて、想像もしていませんでした。
娘が家を出た後のこの空いた空間と時間を、手芸や散歩などで埋めるくらいしか考えていなかった私。
けれど、彼と出会ってからというもの、心のどこかに小さな火が灯ったような、不思議な高揚感を感じます。
もちろん不安もあります。
「私はもう63歳だし、恋なんてするには遅すぎるのでは」とか、「娘や周囲の人がどう思うだろうか」とか、頭をよぎることは多々あります。
しかし、それよりも「もう一度一歩踏み出してみてもいいかもしれない」という思いのほうが、少しずつ大きくなっていくのです。
この前なんて、彼がSNSで発信している陶芸の新作情報を見ようとして、どうやら娘に手伝ってもらわなくてはならなくなりました。
娘に「ちょっとスマホを貸して。
彼の投稿を見てみたいの」と言ったら、「お母さん、なんだか楽しそうだね」と笑われてしまい、少し照れくさかったのを覚えています。
その場ですぐに冷やかされるかと思いきや、娘は意外にも「いいじゃない。
お母さんが元気になるなら応援するよ」と言ってくれました。
札幌の街で重ねる思い出
その後、私たちは何度か札幌の街を歩きながら、一緒にイベントを見て回ったり、散策したりしました。
彼が教えてくれた穴場スポットのカフェは、古民家を改装した落ち着いた雰囲気で、私が編んだレースのマットを「ここに敷いたら似合いそう」と盛り上がるなど、想像を膨らませては笑い合います。
また、ときには大通公園を散策しながら、小さなアンティークショップを覗き込んだり、陶器と編み物を融合できるアイデアを出し合ったり。
私たちの年齢だからこそ、落ち着いているけれどゆっくりと燃えるような情熱を感じるのです。
腰痛が出ないようにと、彼が荷物をさりげなく持ってくれたり、段差のあるところでは手を貸してくれたりするのもありがたくて、同時になぜか胸がキュンとする自分がいます。
「またこんな気持ちになるなんて」と、自分自身で驚く日々です。
これからの私たち
私にとっては、彼との出会いは第二の青春のようなものかもしれません。
もちろん、これからどうなるかはまったく分かりませんし、あえて「恋愛だ」と決めつけるつもりもありません。
ただ、一緒に作品づくりを考えたり、札幌の街を散策したり、そしてお互いの思い出を語り合ったりするなかで生まれるあの穏やかな幸福感を大切にしたいと思っています。
人生は本当に予測不能なものです。
63歳の私は、まだまだ道半ばとまではいかなくとも、新しく花開く感情を享受する余地があるのだと感じています。
腰痛と付き合いながら、スマホの操作に苦戦しながら、それでも心は元気いっぱい。
彼と同じ目線で、札幌の街をいっそう深く知り、作品に新しい風を吹き込むことができたら、どんなにか楽しいだろうと思います。
娘は早速、「お母さんの作品と彼の陶器をセットで売り出せるようにSNSで宣伝しようか」と提案してくれています。
私が思わず「そんな大げさなものでもないわよ」と照れ隠しをすると、「いいじゃない、せっかくだからチャレンジしてみなよ」と笑われてしまいました。
でも、そうやって娘に背中を押してもらえるのもありがたいものですね。
夕方の窓際から見える札幌の街並みは、夏は青々と、冬には白銀に包まれて、本当に美しく移り変わっていきます。
その景色が、これからどんな色で私の心を満たしてくれるのか。
今はまだ、そのすべてを知ることはできません。
でも、もう一度ときめく気持ちを持って歩み始めた自分に、少し誇らしさを感じています。
そして、もし彼との関係がより深まるなら、それはきっと素晴らしい贈り物になることでしょう。
私の63歳の人生は、まだまだ途上なのだと、改めて実感しています。
この札幌の地で再び燃え上がるような気持ちを大切に、明日も腰痛に気をつけながら、作品づくりと新しい恋の予感を楽しんでいこうと思います。