70代前半、素朴な手仕事が紡ぐ新たな出会い

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静かな日常に染み込む思い出

私が71歳になり、気づけば人生のかなりの時間を一人で過ごすようになりました。
夫を亡くしてからもう数年が経ちます。
遠方に暮らす子どもたちとは年に数回の電話で声を聞く程度で、普段の生活は、小さな庭を眺めたり、手芸教室の準備をしたり、ゆっくりとした時間の流れに身を委ねるばかりでございます。
そんな私にとって、地域センターで週に数度行う手芸教室は、唯一の社会的つながりといっても過言ではありません。
指の関節が少し痛むので、かつてのような速さでは編み物や刺繍ができないのですが、それでも若いころから愛してきた毛糸や刺繍糸に触れると、心が穏やかにほぐれていくような気がいたします。

手仕事が紡ぐ小さな交流

教室には様々な年代の生徒さんが集まりますが、最近になって60代後半ほどの男性が一人、静かに参加するようになりました。
初めは「男性が手芸を?」と少し驚きましたが、彼はとても真面目に編み物に取り組んでおります。
針を握る手はまだたどたどしく、出来上がる作品は素朴そのものでしたが、どこか温かな雰囲気を持っているのでございます。
生徒同士の会話が飛び交う中、彼はほとんど口を挟むことはありませんでした。
しかし、ある日、私がお手本として広げた古い手織りのテーブルクロスに彼が目を留め、「これは手織りですか」と初めて声をかけてくれました。
その柔らかな声と目の輝きに、私は心が揺れるのを感じました。

失われた温もりを感じるひととき

私が「ええ、若い頃に織ったものなんです」と伝えると、彼は懐かしむように言いました。
「私の母が昔、こういう手仕事をしていて… なんだか、懐かしい匂いがしますね」
その言葉に、私は胸がいっぱいになりました。
手仕事は人の想いを刻むもの。
遠く離れて暮らす子どもたち、そしてもういない夫への想い。
全ては糸と針の交差に紡ぎ込まれているような気がしました。
目の前にいる彼にも、きっとさまざまな人生の紆余曲折があるのでしょう。

少しずつ紡がれる心の糸

それから、教室が終わると彼は私を待ってくれるようになりました。
教室が引けた地域センターの廊下や庭先で、彼と立ち話をする数分は私にとって小さな喜びの時間です。
「今日はもう少し糸の張りを意識してみました」と、彼は編み上がった小さなコースターを見せてくれます。
私は関節が痛む指で丁寧にコースターを撫で、優しく微笑みました。
「とても上達していますね。 糸が整って、模様がはっきり見えますよ」と伝えると、彼はまるで子供のように嬉しそうな表情を浮かべました。
言葉は少ないのですが、そのやり取りには不思議な安心感が満ちているのです。

新しい朝の光

ある雨上がりの午後、彼は教室のあと、傘もささずに外で空を見上げていました。
私が近づくと、「虹が出そうな気がして」と、少し照れたような顔をして微笑んだのです。
人生の長い道のりを歩いてきた私たちが、こんなにも素直な感情を交わすことができるとは思ってもみませんでした。
テクノロジーには疎い私たち。
スマートフォンで連絡を取り合うこともせず、固定電話で音声を聞く機会すらまだありません。
それでも、週に数回の手芸教室が、私たちの心の糸をゆっくりと紡いでくれています。

心を満たす糸の行方

年月を重ねた今だからこそ分かる、相手の小さな気遣いや静かな優しさ。
彼が身につけた古いセーターの色合いも、私には心地よく映ります。
新しい恋と呼ぶには照れくさいかもしれませんが、二人で紡ぐ小さな物語が、私のこれからの毎日を優しく照らしてくれるような予感がいたします。
指先にわずかな痛みを感じながらも、私は細い糸を紡ぎ続けます。
それは、次の教室で彼に見せるための、小さな手仕事。
人生の終盤だからこそ染みわたる、この穏やかな時間こそが、私にとって何より美しい愛の形なのかもしれません。

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