京都・北野天満宮で芽生えた晩年のあたたかな縁

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はじめに

私は68歳、京都の古い町並みに囲まれた一軒家で一人暮らしをしています。
10年前、最愛の夫を病で亡くしました。
あの頃は、生きる気力がすっかり失せてしまったようでしたが、いつしか日々の小さな営みに助けられ、今では手作りの雑貨をパソコンで紹介してオンライン販売も始めています。
子供はいないので、近所づきあいやヨガ仲間とのおしゃべりが、私の大切な人間関係。
経済的には年金とわずかな副収入で、なんとか丁寧な暮らしを営んでいるところです。
人生の後半戦は静かに過ぎてゆくものだと、そう思っていましたが、京都・北野天満宮の境内で出会った一人の男性が、私の世界に小さな灯をともしてくれました。

北野天満宮での朝散歩

軽い関節痛を抱えている私にとって、激しい運動は難しいですが、ヨガ教室で身体を伸ばし、朝の散歩で心を整えることを日課にしています。
ここ数年、私は週に一度、北野天満宮の境内まで歩くことにしています。
賑やかな参拝客の多い日中ではなく、まだ人影がまばらな朝、ひんやりとした空気の中で木々を眺める時間が心地よいのです。
その日も境内の奥にある小さな休憩所でベンチに腰かけ、ふとした拍子にスマートフォンの操作に手こずっていました。
SNSへの投稿をしようとして、画面が固まってしまったのです。

偶然の助力

「少しお困りですか?」と声をかけてきたのは、70歳前後と思しき、上品なたたずまいの男性でした。
和やかな顔立ちで、紺色のジャケットを羽織り、近くの朝市で何か野菜を買ったのかビニール袋を下げています。
私は少し恥ずかしくなりながら、「スマートフォンの操作がうまくいかなくて…PCは得意なんですが、スマホはまだ慣れなくて」と打ち明けました。
すると彼はにこりと笑って、「僕も実はスマホは苦手ですよ」と言いながら、自分が使っている翻訳アプリの画面が時々固まる話をしてくれました。
その共通点に、なぜかほっとしたのを覚えています。

一期一会から続く会話

その日は立ち話程度でしたが、次に同じベンチに座ったとき、私たちはまた顔を合わせました。
彼は昔、大学で教鞭をとっていたらしく、定年後は自宅で読書を楽しみ、時折こうして北野天満宮付近を散歩するのが習慣なのだそうです。
「このあたり、昔はもっと静かでね」と昔話に花が咲くうち、私は夫との思い出や、雑貨販売に挑戦していることなど、つい口が滑らかになりました。
気づけば、朝の清らかな空気の中で、二人は少しずつ心を開いていました。

小さな勇気を試す瞬間

私は内向的で、一人でいることが心地よい半面、誰かと心を通わせることに臆病でもありました。
夫を亡くしたあのときから、胸の中で何かが硬く凍りついていたような気がします。
でも彼と話していると、私の中の小さな好奇心が顔を出し、もう少し深く彼の世界を知りたいと思うようになりました。
「もしよかったら、今度近くのカフェでお茶でもしませんか」と、思い切って誘ってみたのは、3度目に彼と顔を合わせた朝でした。

京都らしい佇まいのカフェで

彼は少し驚いたようでしたが、「いいですね、僕も最近、新しい喫茶店を探していたんですよ」と応じてくれました。
その週末、北野天満宮から少し歩いた先にある古民家カフェで待ち合わせました。
淡い照明、木の柱と障子が残る和洋折衷の空間で、コーヒーをすすりながら、私たちは互いの歩んできた道を話しました。
彼は独身で、長年学問の世界で生き、今はゆったりとした日々を過ごしているとのこと。
私がオンライン販売の話をすると、「それはすごい、僕はネット販売なんて夢のようだな」と目を丸くしました。
私も、夫を失った後の孤独、そしてそれを埋めるために始めた小さなビジネスが今の心の拠り所だと話すと、彼は静かに頷いてくれました。

孤独と充実のあいだで

年金暮らしの私は、決して裕福ではありません。
でも、手作り雑貨を丁寧にパッケージし、パソコンで写真を加工し、オンラインで誰かの元へ届ける過程が、自分を生かしてくれる行為になっています。
彼もまた、研究生活の延長で本や資料と向き合う静かな日々を好んでいたそうです。
そんな二人が、スマホ操作に苦手意識を抱きながらも、細々とSNSを使い、ネットで新しい価値を見つける。
それは、若いころには想像もしなかった晩年の過ごし方です。

ヨガマットと散歩道

週3回のヨガは私にとって関節痛対策だけでなく、心の柔軟性を保つ手段でもあります。
彼と会うようになってから、心が軽くなった気がします。
朝、北野天満宮へ向かう足取りは以前よりも弾んでいます。
「今日もあのベンチで、彼が散歩してくるかしら」
期待しすぎないようにと抑えつつも、新しい出会いが私の心を潤しているのがわかります。

この歳だからこその落ち着き

若いころの恋愛とはまるで違います。
互いに背負ってきた時間があり、過度な期待を押し付けることもなく、ただ一緒にいて言葉を交わすだけで心が満たされていく。
彼は「あなたの雑貨を実物で見てみたいな」と言いました。
私は「じゃあ今度、うちに来ていただけたら…。ちょっと狭いですが、いくつか並べてお見せします」と、また一歩踏み出しました。
我が家は古い木造住宅で、パソコンデスクと小さな作業スペース、そこに雑貨作りの道具が整然と並んでいます。
そんな日常を見てもらうのは少し恥ずかしいけれど、今の私をそのまま受け入れてくれるかもしれないという期待があります。

結びに

京都・北野天満宮という古都ならではの神聖で穏やかな空気が漂う場所で、私は新たな縁を結び始めています。
晩年だからこそ、焦らず、ゆっくりと、人との繋がりを紡ぐことができるのかもしれません。
人生の終盤を迎えた今、私はもう一度、小さなときめきに心を開こうとしています。
スマートフォン操作に手間取りながらも、パソコンで雑貨を販売し、ヨガで身体を整え、静かに微笑む彼との時間を楽しむ。
そんな細やかな日常が、私にとって新たな彩りとなっていくのでしょう。
思いがけず芽生えたこの温かな縁を、私はゆっくりと大切に育んでいきたいと感じています。

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