50代半ばの心の揺らめき
54歳前後になって、日々を穏やかに過ごしております。
娘はすでに独立し、地方で家庭を築いておりますので、私の暮らしは現在、小さな都心のマンションを拠点とした一人暮らしです。
都心は刺激が多く、最新の情報や文化が常に流入しております。
しかし、私自身はそうした「華やかな何か」に興味を強く抱くわけではなく、むしろ落ち着いた空間や、一人で考え事をする時間を愛しております。
離婚を経験して数年が経ち、安定した収入を得るために立ち上げた小さなコンサルティング会社は、現在順調に成長を見せております。
多忙というほどではありませんが、決まったクライアントとの仕事を淡々とこなし、週末には新たなビジネス書をめくりながらカフェでゆっくりと過ごすこともあります。
膝に軽い痛みがあるものの、特別な治療を要するわけでもなく、軽いストレッチやウォーキングを習慣にして健康管理に努めております。
私の性格は昔から内向的で、群れるよりは少数の親しい友人や家族との深い対話を望むタイプです。
若い頃はその性質が恋愛面で消極的に働くこともありましたが、今は「必要以上に気負わず、自分らしくいられる相手」との時間を慈しみたい気持ちが強いです。
SNSは娘や古くからの友人と近況を共有するために日常的に使っておりますが、最新のガジェットやアプリに飛びつくほどではありません。
ちょうど、適度な距離感を保ち、必要な情報だけをスマートフォンで手に入れる程度の、程よいテクノロジーとの付き合い方をしています。
そんな静かで落ち着いた生活のなかで、ふと、心を揺らす出会いが訪れるとは思ってもみませんでした。
新たな出会いの予感
彼と初めて顔を合わせたのは、マンションのエントランスでエレベーターを待っているときでした。
背筋が伸び、少し白髪の混じった整髪が清潔感を漂わせる初老の紳士。
50代後半から60代前半くらいに見える彼は、シンプルなジャケットとスラックス姿で、どこか余裕のある雰囲気を醸し出しておりました。
「お先にどうぞ」と、にこやかにエレベーターに誘われ、私も軽く会釈をして中へ。
その短い数秒の間に、彼が同じフロア近くに住んでいるらしいということ、朝は早めに出勤し、夕方には比較的早く帰宅する生活を送っているらしいことが、彼の服装や持ち物から仄かに伝わってきました。
毎日のように顔を合わせるわけでもないのですが、エントランスやゴミ捨て場で数度目が合ううち、私たちは簡単な挨拶をする間柄になりました。
繊細な心の通い合い
ある日のこと、私がエントランスの脇で膝のストレッチをしていると、彼が通りかかりました。
「膝、お悪いんですか」と、少し気遣う声で彼が尋ねます。
私は慌てて「少しだけ痛みがあるので、ウォーキング前にストレッチをしているんです」と答えました。
すると彼は「よかったら、僕もウォーキング仲間に入れてもらえませんか」と申し出てきました。
見ず知らずの人と一緒に歩くのは躊躇われましたが、彼の柔らかな笑みが私の胸に小さな安心を運んできたのです。
夕方、マンション近くの公園をゆっくりと歩く。
会話は他愛ないものでした。
仕事のこと、週末の過ごし方、最近読んだ本について、そして少しだけ、過去の人生の断片。
離婚の経緯や娘のことなど、深くは踏み込みませんでしたが、彼の沈黙の合間に滲む温かさに、私は気づかされました。
それは、人生経験をそれなりに積み、酸いも甘いも噛み分けてきた人間同士だからこそ共有できる、無言の共感だったのかもしれません。
緩やかに形作られる関係
ウォーキングをご一緒するようになって数週間が過ぎた頃、彼が小さなカフェで一緒にお茶をしないかと誘ってくれました。
私たちは公園の近くにある隠れ家風のカフェに腰を下ろし、温かいカフェラテと小さなケーキを前に穏やかな時間を過ごしました。
その時、彼は静かに言葉を紡ぎ始めました。
「僕は10年ほど前に妻を病気で亡くしました。
それ以来、ずっと一人暮らしです。
仕事はもう定年を迎え、今は週に数度、ボランティアで地域の子どもたちに勉強を教えたりしています。
こうしてあなたと話せるのが、最近ではとても新鮮で、ありがたいんです」
彼の言葉には、傷ついた過去を受け止め、それを静かに抱えながら前を向く、成熟した大人の強さがありました。
私はその話を聞いている間、胸の中がじんわりと温かくなり、同時に少し切なさも感じました。
そして、自分自身も今まで心の片隅に閉じ込めていた痛みや不安、そして再び人を愛することへの躊躇いを、口にしなくても分かり合える人が目の前にいることに気づいたのです。
小さな決断と未来
それから、私たちの散歩は週に2回、3回と増えていきました。
ウォーキングの合間に、膝の痛みを気遣ってくれる彼に、私は少しずつ心を開きました。
仕事で忙しい日々にも、彼と話す数分が増えると不思議と心が軽くなりました。
SNSで娘とも近況を伝えあい、友人たちとはお互いの人生を尊重し合う関係を築いている私でしたが、恋愛に対してはどこか分厚い壁があったのかもしれません。
「もう年齢的に恋愛なんて」とか、「再婚なんて面倒」といった思い込みが、知らぬ間に自分を縛っていたのでしょう。
しかし、彼の存在はその壁を少しずつ、まるで夕暮れに溶ける淡い影のように薄くしていきました。
そしてある日、彼から、「次の週末、一緒に美術館へ行きませんか」と誘われました。
静かで落ち着いた場所で、少しアートに触れてみたいと彼は言います。
私は躊躇した後で、微笑みながら頷きました。
ここから先は、どんな形になるのか分かりません。
ただ、50代半ばになって再び揺れ動くこの心を大切にしたいと思いました。
人生経験を重ね、傷つき、学び、そして今ここで、新たな感情が芽生え始めていることを素直に受け止めたいのです。
私がこの先、彼とどんな関係を築くのかは、まだ分かりません。
けれど、穏やかな笑顔と深い沈黙の中で交わされる無言の対話は、確かに私たちの胸に小さな灯をともしているのです。
私が大切にしてきた「自分らしさ」を尊重してくれる彼との時間は、これまで閉ざしていた扉をゆっくりと開いてくれるような気がいたします。
そして、この年齢だからこそ分かる優しさや、思いやりの深さが、私たちの静かな恋の背景になっているのです。