はじめに
70歳になった私の毎日は、ゆっくりとした時間の流れが定着していました。
妻を亡くしてから10年、娘は遠方で家庭を築き、孫の写真をLINEで見せてくれます。
日課は朝の散歩、午後の新聞読み、夕方の湯沸かしと静かな晩酌。
特別な刺激もなく、穏やかな日々。
そんな頃、地域のコミュニティセンターで開催された「シニア向け料理教室」に参加したことが、私に思わぬ変化をもたらしました。
その教室で出会った彼女は69歳。
少し年下の彼女は、長年一人暮らしを続けていて、やや緊張しながら包丁を握る姿が印象的でした。
出会いのきっかけ
初回の料理教室は冬のはじめ、暖房の効いた調理室で行われました。
講師が「今日は煮込み料理を作りましょう」と言ったとき、私は思わずほっとしました。
普段から簡単な煮物は作っているので、そこまで難しくないだろうと。
ふと、隣の調理台を見ると、彼女が野菜の切り方に戸惑っているようでした。
私は思い切って声をかけました。
「そのニンジン、こう持つと安定しますよ。
よければお手伝いしましょうか。」
彼女は少しはにかみながら「ありがとうございます。
実は自分であまり料理をしてこなかったもので…」と答えました。
初めての会話
煮込みが火にかかった状態で弱火のまま待つ間、私たちは少しずつ言葉を交わしました。
彼女は一度結婚したものの若くして離婚し、その後は仕事を続けてきたそうです。
「定年後、時間ができたはいいけれど、何から始めたらいいか分からなくて」と彼女は笑います。
私も「妻が亡くなってから、ずっと独り身です。
子どもも遠くにいるし、こういう教室に来るのは少し勇気が要りました」と告白しました。
すると彼女は、「私もそう。
でも、来てみてよかったです」と穏やかな笑みを浮かべました。
その笑顔は、私が久しく感じたことのない、柔らかな光のように心にしみました。
食卓を囲む小さな喜び
出来上がった煮込み料理は参加者全員で試食します。
いつもは一人分の食事で終わる夕食ですが、その日は他の参加者や彼女と一緒に味わうことができました。
「優しい味ですね」と彼女が言い、私も「こういうシンプルな味付けが一番ですね」と頷きました。
一人で台所に立つよりも、誰かと作り、食べ、話す時間がこれほど温かいものだとは思わなかったのです。
その夜、自宅に帰ってから、私はふと感じました。
このわずかな交流が、私の内側をほのかに照らしていると。
テクノロジーと新しい交流
翌週の料理教室で再会した際、彼女がスマートフォンを取り出し、「実は娘がLINEでレシピ動画を教えてくれたんですけど、いまいち使い方が分からなくて」と言いました。
私は「スマホは慣れると簡単ですよ。
もしよければ、今度一緒に見てみましょう」と提案します。
彼女は「助かります。
一人で悩んでもなかなか進まなくて…」と素直に頼ってくれました。
今まで一人で何でも解決しようとしてきた私でしたが、誰かに頼られる嬉しさを久々に思い出しました。
健康と気遣い
彼女は少し高血圧気味で、塩分控えめの食事に気をつけたいと言います。
私も年齢相応に膝や腰が弱くなっており、長時間立ちっぱなしは避けたいところです。
「次の教室が終わったら、近くの喫茶店で塩分控えめのスープを飲んでみませんか」と私が誘うと、彼女は「そうですね、体に優しいメニューを探してみましょう」と前向きに答えてくれます。
私たちは急がず、相手の体調やペースを尊重しながら少しずつ距離を縮めていきました。
小さな日常の変化
やがて料理教室で会う以外にも、週末に少し足を伸ばして散歩がてら近くの市場を見て回ったり、旬の食材を確かめ合ったりするようになりました。
彼女はスマホで野菜の栄養素を検索し、私が知らない食材を教えてくれることも増えました。
以前の私は、自分が何を食べても大差ないと思っていましたが、彼女と話すうちに「もう少し良い物を食べて、あと数年、元気で過ごしたい」という気持ちが芽生えています。
おわりに
70歳の冬。
外は寒さが厳しくなってきましたが、私の心には小さな温もりが灯っています。
料理教室で出会った彼女との交流は、決して派手なものではありません。
けれど、誰かと過ごす穏やかな時間は、人生の晩年に訪れた大切な贈り物のようです。
これからどれほど続くか分からないけれど、今この瞬間が、私の人生をもう一度柔らかな光で包んでくれている――そう感じずにはいられません。