私は現在72歳になります。
香川県の高松で暮らしていて、夫とは数年前に死別し、それ以来ひとりでこの家を守っております。
実は孫がひとりおりまして、娘夫婦が共働きで忙しいこともあって、ときどき私が預かって世話をすることがあるんです。
年齢的に体力の衰えは否めませんが、孫の可愛い笑顔を見ていると不思議と元気がわいてくるから不思議なものですね。
私の日常のほとんどは、家庭菜園での作業に費やしています。
夫が亡くなってからというもの、ひとりで家計をやりくりしないといけないという思いもあり、庭先を大幅に改造して本格的な野菜づくりを始めてみたんです。
最初はきゅうりやトマトなど、育てやすい夏野菜から始めましたが、気づけば四季折々の作物を少しずつ収穫できるようになりました。
とれたての野菜は近所の直売所に少量だけ出して、わずかながら生活費を補っています。
この小さな半自給自足ライフが、今では私の暮らしの基盤となりました。
健康面では、血圧が少し高めだとお医者さんに言われてから、塩分の摂取に気をつけるようになりました。
それでも創作意欲や好奇心だけは若いころからまったく変わらず、むしろ年を重ねるほどに「もっといろいろやってみたい」と思うようになった気がします。
特に布を使った小物作りや、野菜を漬け込んでオリジナルのぬか漬けを研究したりするのが大好きで、頭の中には常に新しいアイデアが浮かんできます。
友人からは「元気すぎる」と言われることもありますが、私としてはこれが当たり前なんですよね。
しかし、テクノロジーの波には少し乗り遅れ気味です。
スマートフォンを持ち始めてもう半年ほどたつというのに、未だにLINEの文字入力と通話の切り替えくらいしか分かりません。
SNSに写真を投稿したり、アプリをインストールしてみたり……ということは、正直ちんぷんかんぷんです。
それでも孫が遊びに来てくれるときなどは、いろいろと教えてもらいながら覚えていこうと頑張っています。
そんな私の毎日ですが、つい先日、思いもよらない出来事が起こりました。
まさかこの年齢で“ときめき”を感じる日がやってくるなんて、人生は本当に何があるか分からないものですね。
予想外の出会いが訪れた日
きっかけは、家庭菜園のことで相談に乗ってもらおうと市の農業支援センターに足を運んだときのことです。
私の暮らす高松では、地域の農家さん同士が情報交換をするコミュニティがあるのですが、そこに私のような小規模な“半自給自足”メンバーも参加できる仕組みが整っているんです。
ある日、そのセンターで小さな勉強会が開催されると聞き、「もっといい土作りの方法を学べるかもしれない」と期待して参加してみました。
勉強会では、地元のベテラン農家さんが講師を務めていて、土壌改良や有機肥料の作り方を詳しく教えてくださいました。
私も熱心にメモを取っていたのですが、その後の懇親会で同じテーブルに座った方が、今回の物語の主役になるとは夢にも思いませんでした。
その方は73歳で、数年前に定年退職した後に、本格的な無農薬栽培に挑戦しているとのことでした。
私は最初から妙に引き寄せられるものを感じていて、話し方が柔らかくて、でも芯のある雰囲気に心が和みました。
相手も私に興味を持ってくれたのか、「家庭菜園をやってるなんて素晴らしいですね。
野菜の販売もされてるんですか?」と尋ねられ、そこからはお互いの畑や育てている野菜の種類、困ったときの対処法など、自然と会話が弾みました。
懇親会の終わりには、「ぜひ今度、よかったらうちの畑も見に来てください」とお誘いをいただき、私はその優しい言葉に胸を高鳴らせながらうなずいてしまったのです。
孫との日々と揺れ動く心
私の生活は、孫が来る日とそうでない日とで大きく変わります。
孫が来るときには食事やおやつの用意、宿題を見る手間などがあるので、忙しい一日を過ごしますが、そのぶん笑い声が絶えません。
しかし、孫が帰った後は急に家が静かになり、ふと寂しさを覚えることも正直あります。
そんなとき、この前勉強会で出会った方のことを思い出し、「今ごろは畑仕事をしているのかしら」と想像すると、不思議なほど気持ちが明るくなるのです。
「まさか72歳にもなって、こんな気持ちが芽生えるとは……」と自分でも戸惑いながらも、どこか楽しい気分が湧きあがってくるのを止められません。
ある日、スマートフォンに着信があり、画面に見慣れない番号が表示されました。
出てみると、先日の勉強会でお会いしたあの方でした。
「もしよかったら、今度の日曜にうちの畑を見に来ませんか。
白菜がいい感じに育ってきたので、収穫体験してもらえたらと思いまして」とのこと。
私は思わず声が弾んでしまい、二つ返事で快諾しました。
高松の畑で感じた新しい世界
そして迎えた日曜日。
私が住む家から車で30分ほど走ったところに、その方の畑がありました。
広々とした畑には白菜だけでなく、大根や小松菜、そら豆など、いろいろな野菜が丁寧に育てられていました。
「最初は趣味程度だったんですが、退職後はこれが生活の中心になってしまって」と照れながら教えてくれる彼の横顔は、とても生き生きして見えました。
実際に私も白菜を収穫させてもらい、その場で軽く土を払って持ち帰るときのあの嬉しさは、まるで子どもに戻ったような気分でした。
彼は時々、私の動きを気遣ってくれて、「無理しないでくださいね。
ゆっくりで大丈夫ですよ」と声をかけてくれます。
血圧が高めだという話を先日の懇親会でしていたのを覚えていてくれたのかもしれません。
そのさりげない気づかいが、とても心に染みました。
畑仕事が一段落すると、「せっかくだから、少し休憩していきませんか」と彼が軽いお茶菓子を用意してくれました。
スコーンやコーヒーといった洋風のものを勧められ、ちょっと意外でしたが、どうやら彼は若いころから海外の文化に興味があったようで、パン作りも趣味だそうです。
私も手芸や漬物だけでなく、最近はジャム作りなどもやっているので、話が盛り上がりました。
小さな勇気が生む大きな変化
帰り際、彼が「またよかったら来てくださいね。
次は春先になると、もっといろいろな野菜が採れますよ」と柔らかな笑顔で言ってくれました。
私も「ぜひまたお邪魔したいです。
もし私の畑も興味があれば見にきてください」と、少しはにかみながら返事をしました。
これまでの人生経験上、私は人との距離感を大切にしてきたつもりですし、相手にあまり深入りしすぎるのも怖いという気持ちがどこかにありました。
しかし彼と話していると、そんな不安やためらいよりも、「もう一歩踏み出してもいいのかもしれない」という思いが芽生えてくるのです。
私たちは決して若いわけではありません。
むしろ、人生の終盤に差しかかっているのかもしれません。
それでも、こうして新たな縁が巡ってくると、心が再び色づいていくのを感じます。
高松という土地がもともと持つ温暖な気候のせいか、私自身が持っているポジティブ思考のせいか、あるいはその両方かもしれません。
とにかく今は、「また会いたい、話したい、畑のことをもっと知りたい」と思う自分がいるのです。
これからの人生を彩る希望
家に帰り、収穫した白菜を見つめながら、私はふと「そうだ、この白菜を使って漬け物を作ろう」と思い立ちました。
時間はかかりますが、その分、出来上がったときの喜びもひとしおです。
もし彼と再会したときには、この漬け物を持参して「あなたの畑の白菜、こんなにおいしく仕上がりましたよ」と伝えられたら、きっと喜んでもらえるでしょう。
72歳という年齢になって、まさかこんなふうに胸が弾むような体験をするなんて、正直なところ自分でも驚いています。
でも私は「年齢はただの数字に過ぎない」と思うようになりました。
血圧が高めだったり、足腰が弱ってきたりという現実はあっても、心はまだまだ若いつもりでいたいのです。
孫を預かりながら、小さな家庭菜園とともに過ごす毎日は、相変わらず穏やかで、それだけでも十分幸せでした。
しかし、そこに彼との新しい関係が加わることで、私の生活は少しずつ彩りを増していくような気がします。
何かすごく大きな変化があるわけではなくても、この小さなときめきは確かに私の心を動かしているのです。
私が暮らす高松の風景は、これまでと同じように穏やかで、海も山も美しく映っています。
けれど、その景色を見上げる私の心境は、以前よりずっと明るく、そして前向きです。
これから先、人生はどんな展開を見せてくれるのでしょうか。
きっと、今までになかった笑顔が増えることを期待しながら、白菜の漬け物ができあがる日を楽しみにしているところです。
いま私が確信しているのは、年齢や環境に関係なく、新しい縁を大切にしようという気持ちが、人生に彩りをもたらしてくれるということです。
72歳の私にも、まだまだ新しい道が広がっているのだと知り、心から安堵している自分がいます。
これからも、私なりのペースで一歩ずつ踏み出していきたい。
そして、あの畑を訪れる日を、今日もわくわくしながら待っています。